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バッハ初期のカンタータを聴いてみよう

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3月の古楽器レッスンに向けて、インベンションやバロック期のレッスンが続いています。いつもの課題も古楽器レッスンがある事で、ワクワクして取り組めていると嬉しいです。

早くから独立し働かざるを得なかったバッハは、教会でオルガン奏者となり、教会カンタータを作り暮らしをたて始めます。(教会カンタータ: ドイツで発展し、プロテスタント礼拝のテーマに沿った歌詞とコラール(賛美歌)を取り入れたもの。レチタティーヴォ(語るような歌)とアリア(歌唱)が交互に並ぶ形式。)

バッハの音楽を知る上で、欠かすことのできないカンタータは現代ピアノ奏者達が関わることの少ないジャンルなので、本日は礒山雅著「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」から、初期のカンタータの解説に沿って、鑑賞したいと思います。

 

この有名な作品は、バッハ22歳の時にエアフルトで没した母方の伯父の葬儀のために書かれ演奏されたとされています。

出典@bach

0:00 ソナティーナ
0:00 Sonatina

2:42 神の時は、いと良き時(合唱)
2:42 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Chor)

4:50 ああ主よ、我らに悟らせてください(アリオーソ)
4:50 Ach, Herr, lehre uns bedenken (Arioso)

7:07 あなたの家を整えよ(アリア)
7:07 Bestelle dein Haus (Arie)

8:12 それは古き契約である(合唱とアリオーソ)
8:12 Es ist der alte Bund (Chor und Arioso)

12:00 あなたの御手に(アリア)
12:00 In deine Hände (Arie)

14:19 今日、あなたは私とともに楽園にいる(アリオーソ)
14:19 Heute wirst du mit mir im Paradies sein (Arioso)

17:57 栄光、賛美、誉れと威光(合唱)
17:57 Glorie, Lob, Ehr und Herrlichkeit (Chor)

解説

「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」礒山雅著よりp.39-42

——最初期のカンタータの特徴を知るために、『神の時こそいと良き時』(BWV106)を、少しくわしく考察しよう。この作品は、バッハが再評価された十九世紀当時からたいへん人気があり、アルベルト・シュヴァイツァーらにも激賞されて、有名になっている。たしかにこれは、円熟期の作品群とはひと味違った魅力をもつ、青年期の名作である。

葬儀に寄せて死の問題を掘り下げるテキストは、主として聖書の句を緩やかに綴り合わせ、そこに若干のコラール詩節を加える形で書かれており、音楽もこれに対応して、歌詞に密着した小さな部分を、いくつも積み重ねてゆく。

0:00 ソナティーナ
まず、「ソナティーナ」と題された冒頭の器楽曲を聴いてみよう。合奏に富んだ古雅な響きが、われわれの心をとらえる。

0’30”リコーダーにヴィオラ・ダ・ガンバ(各二)という、歴史的生命を遠からず終わろうとしていた楽器が、通奏低音とともに穏やかな音楽を奏で始めるのである。ソナティーナが甘い瞑想をたたえつつ静かに終わると、合唱が、「神の時こそ」と歌い出す。
2:42 神の時は、いと良き時(合唱)
Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Chor)

神の時こそ、いと良き時。
われらは神の中に生き、動き、また在るなり。
御心に定めたもうかぎり(使徒行伝17・28)

われらはまた良き時を得て、神の中に死ぬなり、御心の定めたもうままに。

テキスト(杉山好訳)はこの部分のみ自由詩によるが、聖書を引用しながらこの歌詞を書いた人物が誰かはわからない。バッハ自身ではないかと想像する人も、少なくないけれども……。

「神の時こそいと良き時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」という第一行は、「神の意思が常に最善である」という命題に加えて、「(故人のみ罷った今こそ)神の時が満ちてきた」というニュアンスも含んでいる。そこで音楽は、まず通奏低音に、神の時を告げる鐘の音を響かせ、これが、のどかな合唱を導入する。いわば「カイロスの時」の、印象的な音楽的具現である。その曲調は、いかにも信頼に満ちていて、明るい。

次に音楽は、アレグロの活気のある部分に入り(3’14”)、使徒行伝の言葉によって、地上の人間のいとなむ生活を描く。しかし、第四十一小節目(3’58”)に至って音楽はにわかに暗い世界に踏みこみ、不協和音と半音階進行が、死の恐怖を浮彫りにする。死を免れ得ぬ、人生の空しさ。ここでテノールは、詩篇第90篇の、苦い祈りの言葉を歌い出す(5’00”)。「ああ、主よ、願わくばわれらにおのが日を数うることを教えて、知恵の心を得しめたまえ」。旋律には嘆息のような大小の休止が刻まれ、流れもとだえがちである。するとそこに、バスが、「汝の家に遺言をとどめよ!」の宣告をもって入ってくる(イザヤ書38・1)(7’07”)。 この神的威厳を帯びたアリオーソには、リコーダーのはげしい分散和音が伴っている。やがて荘重な合唱フーガが起こり(8’12”)、「こは旧き契約の定めぞ、人よ、汝死なざるべからず」(ベン・シラの知恵14・18)と伝える。いまや死は黒々とした威嚇的姿をもって迫り、聴き手を、不如意の絶望へと追いこむかのようである。だが、まったく思いがけなくも、そこにソプラノが、澄みきった明るさで入ってくる。「しかり、主イエスよ、来たりたまえ!」(ヨハネ黙示録22・20)(9’13”)。苦悩の中で、魂は、イエスに目を向けるすべを知った。この鮮烈な対照に驚くわれわれの耳には、さらに、リコーダーの奏するコラール、「我わがことを神に委ねたり」の旋律が響いてくる。当時の会衆がこれを聴けば、ソプラノの明るいよびかけが神への深い信頼から生まれたことを、即座に諒解し得たにちがいない。このあと再びフーガが展開し(9’56”)、死の恐怖が再来するが、(10’16”)ソプラノは、これと争うかのように、主によばわり続ける。
闘いの果てにフーガは形を崩され、各パートが続々と鳴りやんで、最後には、ソプラノのよび声が残るのみである(11’39”)。死における信仰の意義をこれ以上印象深く描き出した芸術が、いったいほかにあるだろうか。
牧師による弔辞と遺骸の祝別を経て演奏されたと思われるカンタータの後半は(12’00”)、すでに浄化された気分に支配されている。「わが霊をば汝の御手に委ぬ」(詩備31・5)と高みをふり仰ぐアルト(12’12”)に対し、バス(12’19”)は、十字架上におけるキリストの言葉(「今日、汝はわれとともにパラダイスに在るべし」、ルカ伝23・43)をもって答える。救いの確信を得たアルト(15’26”)は、安らかに、「平安と歓喜もてわれは往く」のコラールを歌う。これにはヴィオラ・ダ・ガンバが花のようにまといついて、静かな眠りの世界を暗示する。こうしてカンタータは、喜びにあふれた終曲へと入ってゆく(17:57)。つまり、コラール「誉れ、讃美、尊崇、栄光を」が合唱され(18’22”)、「アーメン」の二重フーガがクライマックス(19’25”)を築いて、全曲が閉じられるのである。

こうしたカンタータを前にすると、われわれは、宗教的歌詞の解釈やその音楽化において、バッハがすでにきわめて高い境地に達していたと実感しないわけにはいかない。いやそれどころか、バッハは、二十二歳においてすでに、生と死の問題に関して、大きな悟りのようなものに到達していたと、信ぜざるを得ないのである。———

Author: Sonare Piano Lessons

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