1-フェルディナンド・ダヴィッド
Ferdinand Ernst Victor Carl David
1810年1月20日 ~ 1873年7月19日
ダヴィットはメンデルスゾーン(1809)と同じアパートで生まれた。1810年と言えば、ショパン、シューマンの生まれ年(リスト1811)。
メンデルスゾーンが超絶技巧な自作の《ヴァイオリン協奏曲ホ短調》の初演を委ねたことでも有名。
楽譜校訂者としても活躍。
演奏回数の多い(コンクールにおいても)
トロンボーンのためのコンチェルティーノ
出典@michaelbuchanan2390
ヴァイオリンとピアノのサロンデュエットop.25
出典@thenameisgsarci
私のお気に入りは
無伴奏ヴァイオリン組曲
出典@SisselOnline
00:00 Menuet メヌエット
03:04 Gavotte ガボット
05:43 Sicilienne シシリエンヌ
09:00 Gigue ジーグ
2-アメデ=エルネスト・ショーソンAmédée-Ernest Chausson
1855年1月20日 – 1899年6月10日
フランスの作曲家。交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など。
パリの裕福なブルジョワ家庭に生まれ、法律を学び博士号を取得するが、1879年、24歳でパリ音楽院に入り、最初はマスネに学ぶ。マスネは彼を「並外れた人物であり真の芸術家」と。彼はワーグナーやフランク、ダンディの影響を受け、音楽家として活動を始めました。特にワーグナーから影響を受けた彼の作品は、交響詩『ヴィヴィアーヌ』や『詩曲』などがあり、独自の色彩感と情熱的な表現が特徴です。ショーソンは音楽のサロンで交流を持ち、ドビュッシーやサティとも関わりを持ちながら、フランス音楽界で重要な位置を占めました。44歳で自転車事故により突然亡くなり、未完成の作品も多く残されました。
演奏回数の多い「詩曲」を。
作曲するときの発想源になったというツルゲーネフの小説『勝ち誇る愛の歌』は、芸術の国イタリアを舞台に音楽演奏が得意な男ファビユスと絵を描くのが得意な男ミュシユスが一人の女性ヴァレリアを奪い合い、悲劇となってしまう。物悲しいトーンの中で情熱や劇的な顛末に行きつく様子を語るような作品。巨匠ハイフェッツの演奏で。
出典@musizieren9267
そして美しい歌曲
4つの歌曲op.8 (1929)
出典@bartjebartmans
- Nocturne (0:00) ノクターン
- Amour d’antan (3:10)過ぎにし恋
- Printemps triste (5:42)悲しき春
- Nos souvenirs (9:21)私達の思い
3-ジャン=ジョゼフ=ニコラ=ギヨーム・ルクー
Jean Joseph Nicolas Guillaume Lekeu
1870年1月20日 ~ 1894年1月21日
ベルギー生まれの作曲家。6歳からピアノとヴァイオリンを始め、後にチェロも学んだ。1879年、彼が9歳のときに両親とともにフランスのポワチエに移り住み、1885年に当地のリセに進学。リセの物理教師からバッハ、ベートーヴェンの後期作品とワーグナーの音楽を教えられ、彼らの作品に強く惹かれていたという。1888年にルクーは、さらに多くのことを学ぶためパリに移り住んだ。セザール・フランクの最後の弟子として将来を嘱望されたが、チフスで24歳で夭折した。
しかし、ルクーは15歳から作曲をはじめ、精力的に作品したので、作品は断片なども含めると100余りある。イザイから依頼を受けて作曲したヴァイオリンソナタが特によく知られる。このほか、完成された第1楽章と未完の第2楽章(ダンディが補筆して完成)からなるピアノ四重奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、チェロソナタなどの室内楽やルクー自身も歌詞を書いた多くの歌曲も。
ピアノ作品全集
ピアノソナタト短調のフーガなど、
この様な力作を短い生涯で多作した事に驚きます。出典https://youtube.com/@brilliantclassics?si=8FQrSxe9D2DaYajU
力強いピアノ四重奏
出典@TrioArkel
美しいアダージョ作品3
出典@OPRLlive
4-ヨゼフ・カシミール・ホフマン
Josef Casimir Hofmann,
1876年1月20日 – 1957年2月16日
ポーランド出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト、作曲家。
ポーランド名はユゼフ・カジミェシュ・ホフマン(Józef Kazimierz Hofmann)。
ピアノの巨匠にして天才発明家
20世紀の音楽史において「ピアニストのなかのピアニスト」と称えられる伝説的な存在でありながら、同時に私たちの日常生活を支える数々の製品を生み出した異才の発明家でもある。
ポーランド、クラクフに生まれたホフマンは、わずか3歳でピアノを始め、10代になる頃には「リトル・モーツァルト」としてヨーロッパやアメリカで旋風を巻き起こした。その類まれな才能は、当時の巨匠アントン・ルビンシテインを驚かせ、ルビンシテインは生涯で唯一、ホフマンだけを個人教授の弟子として受け入れた。
ホフマンの演奏は、ロマン主義的な過剰な演出を避け、楽譜に忠実でありながら深い詩情と色彩豊かな音色を持つもの。あのセルゲイ・ラフマニノフが「世界最高のピアニスト」と敬意を表し、自身のピアノ協奏曲第3番を彼に献呈したというエピソードは、彼の音楽的地位を物語っている。
ホフマンの特筆すべき点は、音楽と科学を同等に愛したことにあります。彼は11歳の若さでトーマス・エジソンと文通し、録音技術について議論を交わすほどの科学的素養を持っていた。その創造性はピアノの枠を超え、生涯で70以上の特許を取得するに至る。
現代の私たちが恩恵を受けている「自動車のフロントガラス・ワイパー」は、彼がメトロノームの規則的な動きから着想を得て発明したものと言われています。他にも、自動車や飛行機に不可欠な「空気式衝撃吸収体(エアサスペンション)」、文房具の「ゼムクリップ」、さらには「調節可能なピアノ椅子」や「電子時計」まで、彼の発明の範囲は驚くほど多岐にわたる。
後半生はアメリカを拠点とし、名門カーティス音楽院の院長として後進の育成に尽力した。しかし、完璧主義であった彼は、当時の録音技術が自分の演奏を正確に再現できないことに不満を持ち、キャリアの絶頂期に商業録音から退くという決断を下す。晩年は家族の問題やアルコール依存に悩まされるという孤独な側面もあったが、亡くなる直前までピアノの録音方式の改善や新しい発明に取り組んだ。
《性格スケッチ》
出典@thenameisgsarci
5-アレクサンドル・ニコラエヴィチ・チェレプニン
Alexander Nikolayevich Tcherepnin
1899年1月20日 – 1977年9月29日
ロシア生まれの作曲家、ピアニスト
サンクトペテルブルクに生まれ、5歳で父から音楽を教わる。父がバレエ・リュス(パリでのロシアバレエ活動芸術団体)の指揮者だったおかげで多くの音楽家たちの薫陶を受ける。
ロシア革命後の1918年、チェレプニン一家はグルジア経由でパリへ亡命した。アレクサンドルは本格的に作曲家・ピアニストとしての活動を始め、モーリス・ラヴェル、イーゴリ・ストラヴィンスキー、フランス6人組などと親交を持つ。
フランス印象主義音楽の影響を受けた最初のロシア人作曲家と言われています。
特に彼が開発した9音音階(C、D♭、 E♭、E、F、G、A♭、A、B)が有名。
ホルン四重奏をベルリンフィルのホルンで。
出典@SarahWillisHorn
フランスシノワズリの影響を
Alexander Tcherepnin – 5 Concert Etudes “Chinese”, Op. 52
出典@mdr-bs8jy
00:00 – I. Shadow Play
03:14 – II. The Lute
07:41 – III. Homage to China
10:08 – IV. Punch and Judy
13:00 – V. Chant
6-いずみたく
Taku Izumi
1930年1月20日 ~ 1992年5月11日
「手のひらを太陽に」、「見上げてごらん夜の星を」など、誰もが知る日本歌謡の作曲家。