1-スコット・ジョプリン
Scott Joplin
1868年11月24日 – 1917年4月1日)はアメリカ合衆国の作曲家、ピアニスト。
ピティナピアノ曲事典より
https://enc.piano.or.jp/persons/136
1867年から1868年頃(誕生日は長年にわたり、1868年11月24日であると考えられてきたが、ラグタイム研究家のエドワード・バーリン(Edward Berlin)の研究により誤りであることが判明、現在では1867年7月から1868年4月までの間に出生したのではないかという説が有力 。)にテキサス州で生まれたアフリカ系アメリカ人の作曲家・ピアニストです。彼は、西洋音楽と黒人音楽の要素を融合させた独自の音楽を追求し、この成果が後に「ラグタイム」というジャンルとして確立されたことから、「ラグタイムの王」と呼ばれる。
幼少期に音楽的才能を開花させ、親元を離れた後、ミシシッピー川流域のサロンなどで演奏活動を行っていた。
1895年、クラシック音楽の作曲家としての人生を志し、黒人のためのジョージ・R・スミス大学で学ぶ。ヨーロッパのクラシック音楽とアフリカ系アメリカ人のハーモニーとリズムを結びつける音楽を追求し、これが後に「ラグタイム」として結実する。
1899年に出版した代表作《メイプル・リーフ・ラグ》
(本人の演奏)
出典@TomJ
が大成功を収め、ラグタイムを広く普及させるきっかけとなった。また、1902年にはもう一つの代表作《ジ・エンターテイナー》
(本人の演奏)
出典@TUNEMusicalMoments
を作曲しています。
晩年にはオペラ『トゥリーモニシャ』
出典@edivaldo.ferreira
を作曲しましたが、生前に正当な評価を得ることはできませんでした。1917年4月1日、梅毒による合併症で死去。
彼の死後、長らくその功績は忘れられていましたが、1970年代に入り再評価が進みました。特に1973年の映画『スティング』で彼の楽曲が使用されて大ヒットしたことにより、世界的に広く知られるようになり、1976年にはオペラ『トゥリーモニシャ』がピューリッツァー賞を受賞しました。
2-アルフレート・ガリエヴィチ・シュニトケ
Альфре́д Га́рриевич Шни́тке
Alfred Garyevich Schnittke
1934年11月24日-1998年8月3日
旧ソ連の作曲家
ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれた、旧ソ連のドイツ・ユダヤ系作曲家・ピアニスト。
フランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人の父と、ヴォルガ・ドイツ人の母を持つ家庭で育ち、1946年にウィーンで最初の音楽教育を受ける。
1961年にモスクワ音楽院を卒業し、1972年まで講師を務めた後、主に映画音楽の作曲で生計を立てた。
初期の作品はショスタコーヴィチの影響や、無調、12音技法、特殊奏法といった大戦後の前衛音楽・実験音楽の要素を強く示しているが、このスタイルはソ連当局からしばしば攻撃を受けた。その後、シュニトケはこれらのブームから離脱し、新旧の作曲様式を密接に融合させる、折衷的な音楽言語「多様式(Polystylism)」を独自に生み出す。彼は、芸術音楽と軽音楽、あるいは古典と無調といった、異なる要素をアイロニカルに構築することを生涯の目標とした。この多様式による
《合奏協奏曲第1番》(1977年)
出典@ADGO
などにより、世界的に広く注目されるようになった。
1985年には脳血管発作に倒れ、その後も体調が優れない中、大曲の創作を継続した。
1990年にロシアを去りハンブルクに定住した後も健康は回復せず、1994年の発作により作曲がほぼ不可能な状態になる。何度かの脳卒中を経て、1998年8月3日に63歳で他界。絶筆となった交響曲第9番は、未完成のまま遺されました。彼の作品は、特に旧ソ連の政変以降広く受け入れられている。
《弦楽四重奏曲第3番》
出典@belanna000
《きよしこの夜》編曲
出典@GNGianopoulos
《タンゴ》映画音楽《Agony》より
出典@VladimirBodunov
《ヴァイオリン・ソナタ第2番「ソナタ風」》
出典@prokprok12
《ピアノ四重奏曲》
※マーラー未完スケッチによる作品として有名
出典@Astathis
《ポルカ》
出典@GNGianopoulos
《古い様式による組曲》
出典@otonality
再生リスト
https://youtube.com/playlist?list=PLbiN72MaBlLiWJ7sZeyjH4kJb58E2BzRG&si=76-ZWBYrnWAUNToB