1-フェレンツ・エルケル
Ferenc Erkel
1810年11月7日 – 1893年6月15日
ハンガリーの作曲家、指揮者、ピアニスト。ハンガリーにおけるグランド・オペラの父とみなされており、主に歴史を題材とした彼の作品はハンガリー国内では今日でもしばしば上演されている。1844年からハンガリー国歌となった
『賛称』
出典@Filharmonikusok
の作曲者としても知られる。
このハンガリー国民オペラの創始者
ジュラに生まれ、家族はドイツ系だが、自らをハンガリー人と見なしていた。
音楽家の父から音楽を学ぶ。
ポジョニ(現在のブラチスラヴァ)で学び、コロジュヴァール(現在のクルージュ)で活動後、1835年にペストに移る。ソリストおよび伴奏ピアニストとして活動。
1835年にブダ城劇場の国民劇場で指揮者を務め、1838年には新設されたペスト劇場(後の国立劇場)の初代指揮者に就任。ハンガリー語によるオペラ公演の発展に尽力。
1844年に採用されたハンガリー国歌「ヒュムヌス」(フェレンツ・ケルチェイの詩による)を作曲。
1853年に創設されたブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団を率いる。
1875年に創設されたハンガリー王立音楽院の学長(1887年まで)およびピアノ科の教員として教鞭を執る。
1884年に建設されたハンガリー国立歌劇場の音楽監督に就任。
初期の成功作は
『バートリ・マリア』(1840年)
出典@csabasomogyi8141
と、愛国的な
歴史劇『フニャディ・ラースロー』(1844年。後に革命歌として翻案されるほどの人気を博しました)。
(序曲のみ)
出典@70Tamas
最も有名な作品は、1861年に上演された
『バンク・バーン』(ベーニ・エグレッシの台本による)。
出典@laszlopapp9997
その他の大作には、ワーグナー風の要素も見られる
『ドージャ・ジェルジ』(1867年)
(一部抜粋のみ)
出典@waldvogel23
や、最後のオペラ
『イシュトヴァーン・キラーイ(イシュトヴァーン王)』(1885年)
出典@csabasomogyi8141
その他の作曲: ピアノ曲、合唱曲、ハンガリーの民俗音楽の題材を用いた室内楽、国立劇場開場50周年を記念した大曲『祝典序曲』(1887年)
出典https://youtube.com/channel/UCrOG7lK1-FT0Nkwb9bS5TNg?si=JhAWuf2Jhaw27xVb
がある。
ベルリオーズとの関係: ベルリオーズに「ラーコーツィ行進曲」の存在を教え、ベルリオーズはこれを『ファウストの劫罰』で採用。
1911年にブダペストにできたオペラ劇場の部門が、1953年より彼の名を冠して「エルケル劇場」と名付けられた。
2-ジョセフ・オリヴァドーティ
Joseph Olivadoti
1893年11月7日 – 1979年9月28日
イタリアに生まれ、主にアメリカ合衆国で活動した作曲家、オーボエ奏者です。アメリカの学生バンド向けの吹奏楽作品で特に知られています。
イタリアのカラブリア州コルターレに生まる。家族全員が音楽家という環境で育ち、7歳で町のバンドのメンバーとなり、ホルン、サクソフォーン、クラリネット、作曲を学ぶ。1911年(18歳)で渡米し、ニュージャージー州でプロの活動を始める。その後、ミネソタ州で演奏や指揮を行い、1920年には「ミリオン・ダラー・バンド」にオーボエ奏者として所属し、各地を巡業。
1925年にシカゴに移住し、ヴァンダークック音楽大学の教員を務めると同時に、シカゴ交響楽団でオーボエ奏者としても活躍。
1942年から第二次世界大戦中、海軍軍楽隊に約2年8か月勤務。終戦後はカリフォルニア州ロングビーチに移住し、地元のオーケストラや市民バンドで演奏・指導・作曲をする。
スクールバンドのための多数のオリジナル作品や、音楽理論の教本を残しました。特に1940年代から50年代にかけての、学生バンド向けの吹奏楽作品がよく知られています。
代表作『バラの謝肉祭』:
1947年に作曲された吹奏楽のための序曲です。イタリア・ロマン派の音楽性を受け継ぎ、多様な構成ながらも平易で親しみやすい内容。歌曲のような甘い旋律が受け、日本でも多大な人気を博す。
《バラの謝肉祭》
出典@thierryburton5988