ヨハン・クリスティアン・イノセンツ・ボナヴェントゥーラ・カンナビヒ
Johann Christian Innocenz Bonaventura Cannabich
1731年12月28日-1798年1月20日
ドイツのヴァイオリニスト、作曲家、カペルマイスター。
18世紀後半のドイツにおいて、マンハイム楽派を「ヨーロッパで最も完成され、最良の規律を有する団体」へと押し上げた重要な音楽家です。彼はマンハイム宮廷の音楽家マルティン・フリードリヒの三男として生まれ、幼少期から選帝侯カール・テオドールの寵愛を受ける恵まれた環境で育った。
若き日のカンナビヒは、マンハイム楽派の先駆者であるヨハン・シュターミッツにヴァイオリンを学び、12歳で宮廷楽団に入団する。その後、選帝侯の援助によりローマでニコロ・ヨンメッリに、ミラノでサンマルティーニに師事し、イタリア音楽の精髄を吸収。
1757年にシュターミッツが没すると、弱冠26歳でコンサートマスターの職を引き継ぎ、1774年には音楽監督に就任。慎重に移り変わるクレッシェンドやディミヌエンドといった、マンハイム楽派特有のダイナミックな管弦楽法を磨き上げ、後のウィーン古典派へと繋がる礎を築く。
カンナビヒの名は、モーツァルトとの親密な交流によっても広く知られている。
1777年にモーツァルトがマンハイムを訪れた際、カンナビヒは彼を温かく迎え入れ、家族ぐるみで交流した。モーツァルトはカンナビヒの娘ローゼ(ロジーナ)にピアノのレッスンを行い、彼女の性格を反映させた「ピアノソナタ第7番 ハ長調(K.309)」を献呈している。父レオポルトへの手紙には、カンナビヒ家で繰り広げられた賑やかな騒ぎや、当時のマンハイム楽団の圧倒的な演奏能力への賛辞が記されており、二人の間に深い信頼と友情があったことが伺える。
1778年、主君カール・テオドールがバイエルン選帝侯を兼ねることになり、カンナビヒも楽団と共にミュンヘンへ移住する。そこで名作オペラ『イドメネオ』の初演を指揮するなど活動を続けたが、次第に宮廷の財政削減により楽団は縮小し、彼自身の生活も困窮していく。晩年はかつての栄光とは裏腹に、資金を得るための演奏旅行を余儀なくされた。そして1798年、息子カールを訪ねたフランクフルトでその生涯を閉じた。
約70曲から200曲に及ぶとされる彼の交響曲や協奏曲、そして彼が育て上げた管弦楽団の規律は、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンへと続く近代管弦楽の発展に不可欠な役割を果たしたと言われる。
《交響曲22番》
出典@gabor9384