1-ヨハン・クリストフ・ペツェル
Johann Christoph Pezel
1639年12月5日-1694年10月13日
ドイツの作曲家、ヴァイオリニスト、トランペット奏者、都市楽士。
グラーツ(現ポーランド領クオーツコ)に生まれる。
1664年: ライプツィヒ市にヴァイオリニストとして雇われる。
1669年: ライプツィヒ市の都市楽師に昇格。
1672年: コレギウム・ムジクムを創設する。
1681年: バウツェンの都市楽師に就任する。
ペツェルは生涯の大半を町の楽団員として過ごした。
作品は器楽曲が中心で、ドイツの組曲の伝統を受け継ぐ。イタリア様式とフランス様式の影響が見られる。
楽器と管弦楽法の発展に影響を与えました。
当初はヴァイオリニストとして活動していましたが、コルネッティやトロンボーンといった管楽器群のために作曲した楽曲集で知られる。
主要な管楽器作品は、1685年にフランクフルトで出版された『五声管楽作品集』(Fünffstimmigte blasende Music)に収録されている。
ソナタ69番
出典@trompetebarrocobrasil6886
ソナタ22番
出典@RMIBFMX
ソナタ14番
出典@thebrassguy8881
2-フランチェスコ・ジェミニアーニ
Francesco Geminiani
1687年12月5日 – 1762年9月17日
イタリア後期バロック時代、バッハやヘンデルと同世代の作曲家・ヴァイオリニスト・音楽理論家。ルッカ出身で、主にイギリス(ロンドン、ダブリン)で活躍した。
音楽全般をオペラ作曲家のアレッサンドロ・スカルラッティに師事。
ヴァイオリンはミラノでカルロ・アンブロジオ・ロナーティに、その後ローマでヴァイオリニスト兼作曲家のアルカンジェロ・コレッリに師事。
1711年よりナポリの宮廷楽団のコンサートマスターに就任し、しばしば旧師スカルラッティと接触する機会があった。
1714年、ヴィルトゥオーソとしての評判からロンドンに招かれ、とりわけ第3代エセックス伯ウィリアム・カペルの庇護を受ける。
1715年にはヘンデルの通奏低音(チェンバロ)により、ジョージ1世に御前演奏を披露するなど、演奏家として名声を博した。
音楽教師や作曲家として生計を立てる傍ら、美術の蒐集・販売にも熱を入れた。
一時期パリを訪れ暮らしたが、1755年にイングランドに戻る。
ジェミニアーニは第一級のヴァイオリニストであり、門人からは表情豊かなリズムのために「熱血漢 Il Furibondo」と呼ばれていた。
全部で42曲の協奏曲のうち、
《合奏協奏曲集》作品3
出典@baroqueroom275
《合奏協奏曲集》作品7
が最も有名。
出典@classicalmusicarchive1465
彼の合奏協奏曲は、コンチェルティーノにヴィオラを導入して実質的な弦楽四重奏を形成している。
これらの作品は、師コレッリの作風に倣い、対位法的に労作されており、当時のヨーロッパ大陸で流行していた「ギャラント様式」とは好対照をなしている。
また、恩師コレッリのトリオ・ソナタを合奏協奏曲に改作したものも出版しています。
ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集、チェロとチェンバロのためのソナタ集、トリオ・ソナタ集などを多数出版しました。
著作 には、『ヴァイオリン奏法論 Art of Playing the Violin』(1751年、ロンドン)、 『和声法指南 Guida harmonica』(初版1752年ごろ)がある。
1761年にダブリンを訪れた際、多くの時間と労力を捧げた手稿を使用人に盗まれるという不幸に見舞われた。
一説によると、この手稿を盗まれた悔しさが死を早めたと言われている。
1762年にダブリンで亡くなる。
《コレッリのヴァイオリンソナタ「ラ・フォリア」op.5-12による合奏協奏曲ニ短調》
出典@carlosmorello9167
《チェロ・ソナタ ハ長調 Op.5/3 H.105》
出典@rogermorse_
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