1891年4月23日~1953年3月5日

プロコフィエフは現在のウクライナ、その当時のロシア帝国ソンツォフカで生まれました。どんな曲を書いた人なのでしょう。ある人が、プロコフィエフに聞きました。
「作曲の極意※1とはなんでしょう?」
すると、プロコフィエフは、
「いかに聴衆※2を驚かすかということだ」
と答えたそうです。
小さい頃は、ピアノの上手なお母さんから影響を受けて、ピアノに親しみました。5歳半のときには「インド風ギャロップ」という曲を作りました。13歳の時にペテルブルグ音楽院に入学、19歳の時にはお父さんを亡くします。23歳でピアノ科と指揮科を卒業します。
1918年27歳の時、交響曲第1番の初演の後、プロコフィエフはアメリカへの亡命を決意します。ところが、アメリカ行きの船便が見つからず、途中なんとしばらく日本に滞在することになります(6月から8月)。ヨーロッパの大作曲家が日本に来たのは、はじめてのことです。東京、横浜周辺、そして京都に滞在し、琵琶湖疏水・祇園などを散策、大阪も訪れています。その後、奈良市に滞在し、奈良ホテルに宿泊。奈良公園周辺を散策しています。東京に戻ってからは横浜周辺に滞在して、7月には軽井沢・箱根を訪れています。横浜では自作を含むピアノリサイタルを開催しました。日本の古都を訪ねたプロコフィエフはどんな感想をもったのでしょうか。プロコフィエフは日本からも音楽を感じ取ってくれ、その後の作品にその影響を残しています。
聞いてみたい曲
- (1)OP,67 ピーターとおおかみ 1936年
2013年8月22日by Sonare Piano Lessons4月生まれの音楽家:セルゲイ・プロコフィエフ はコメントを受け付けていません