1-テオドール・エステン(または英語読みでオースティン)
Theodor Oesten
1813年12月31日-1870年3月16日
ドイツのピアノ教師で作曲家。数々の歌曲や声楽曲で成功をおさめた。
ベルリン生まれ。幼少期にフュルステンヴァルトの音楽家ポリツキのもとで、弦楽器および管楽器など多様な楽器を学ぶ。19歳でベルリンに戻り、作曲をボーマー、ルンゲンハーゲン、G.A.シュナイダー、A.W.バッハらに師事し、王立芸術院でも学んだ。修業後はベルリンでピアノ教師として成功を収めた。
1843年に発表したロンド「最初の菫(Les premières violettes)」で大きな成功を収め、以後、演奏しやすく感傷的なサロン風ピアノ小品を多数作曲し、当時の聴衆から高い人気を得た。
代表作には
「アルプスの鐘(Alpenglocken)」
@channeltaxi
「アルプスの夕映え(Alpenglühen)」
出典@noboru19473
「人形の夢と目覚め(Dolly’s Dreaming and Awakening)」
などがある。「人形の夢と目覚め」の旋律は日本でも広く親しまれている。また、シューベルトの歌曲「魔王」のピアノ編曲も手がけた。
息子のマックス・エステン(1843–1917)も作曲家で、サロン小品を多く残している。
2-シルベストレ・レブエルタス
Silvestre Revueltas
1899年12月31日-1940年10月5日
メキシコ・ドゥランゴ州サンチアゴ・パパスキアーロ生まれの作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者である。
メキシコ市国立音楽院で学んだ後、アメリカに渡り、テキサス州オースティンのセント・エドワード・カレッジおよびシカゴ音楽大学に留学した。当初は主にヴァイオリニストとして活動し、リサイタルのほか、無声映画の伴奏演奏なども行った。
1929年から1935年まで、カルロス・チャベスの招きによりメキシコ交響楽団(国立交響楽団)の指揮者助手を務め、同時代のメキシコ音楽の普及に貢献した。この時期から作曲活動が本格化する。
政治的には左翼思想に共鳴し、スペイン内戦では共和派の義勇軍に参加した。内戦後にメキシコへ帰国し、教育活動と作曲を続けたが、経済的には恵まれず、不遇の晩年を送った。
代表作には、管弦楽曲「センセマヤ(Sensemayá)」、映画音楽「ラ・ノチェ・デ・ロス・マヤ(マヤ族の夜)」、未完のバレエ音楽「ラ・コロネラ」
出典@TheWelleszCompany
などがあり、「センセマヤ」は特に国際的な評価を得ている。
1940年10月5日、メキシコ市にて死去。40歳没。
《マヤ族の夜》
出典@wocomoMUSIC
《センセマヤ》
出典@bartjebartmans