1-ウニコ・ヴィルヘルム・ファン・ヴァッセナール
Unico Wilhelm van Wassenaer
1692年11月2日 ~ 1766年11月9日
オランダの貴族・アマチュア作曲家。その作品「コンチェルト・アルモニコ」は、最近まで誤ってジョヴァンニ・ペルゴレージ作曲と伝えられてきた。
オランダの軍人ヤコブ・ファン・ヴァッセナール・オブダムの子としてデルデンのトヴィッケル城で生まれた。
15歳のときから2年間、父について音楽文化が盛んだったデュッセルドルフのヨハン・ヴィルヘルムの宮廷で過ごした。
1709年に帰国後は当時のネーデルラント連邦共和国の首都だったデン・ハーグに住み、ライデン大学で法学を学んだ。彼がどのように音楽を学んだかはよくわかっていない。
1714年に父が没するとトヴィッケルの領地を継承し、ヨーロッパ各地を歴訪した。
1723年に貴族の女性と結婚し、3人の子をもうけた。デン・ハーグに住んで共和国の外交官として高い地位を得た。
1745年から1766年に没するまで夫妻はクヌーテルダイクの邸宅に住んだ。
《コンチェルト・アルモニコ第1番》
《コンチェルト・アルモニコ第4番》
《コンチェルト・アルモニコ第5番》
@thejustsound9716
2-カール•ディッタース•フォン•ディッタースドルフ
Carl Ditters von Dittersdorf
1739年11月2日 ~ 1799年10月24日
ハイドンやモーツァルトと同時代のウィーンに生れ、ボヘミア・ノイホーフ(チェコ)で没した作曲家でヴァイオリン演奏家。
カール・ディタースの父は神聖ローマ皇帝カール6世の下で宮廷劇場の衣装デザイナー(刺繍職人)。
息子カールの音楽への興味に対して身近な音楽家たちを教師に頼み、息子は期待通りの成長をした。更に、早くからザクセン=ヒルトブルクハウゼン公子ヨーゼフ(en, 1702年 – 1787年、神聖ローマ帝国の元帥で数々の戦果を挙げ、皇帝に優遇されていた)に見出され、特別の教育を受けた。
1761年(22歳) ウィーンの宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーとなる。25歳年長のグルックが1752年から楽長をしていた。当時のウィーンで最高の楽団はヨーゼフ公子の楽団で、アウアースペルク邸(Palais Auersperg, 現存)では劇場の休みである毎週金曜日の夜に演奏が行われていた。
1763年(24歳) グルックと共にイタリアを旅行。
1765年(26歳)から1769年(30歳) ミヒャエル・ハイドンの跡を継ぎ、ハンガリーのグロースヴァルダイン(現ルーマニア、オラデア)の司教の楽長を務める。
1770年(31歳) ブレスラウの領主司教も務めたシレジア貴族シャフゴチ伯爵家がパトロンとなる。この時期にイタリア語のオペラ・ブッファを9曲作曲している。ローマ教皇アレクサンデル3世より黄金拍車章を授与される。また、オーストリア領シレジアのヨハニスベルク(ヨハネスベルク)城でシャフゴチ家に仕える。この城は現在チェコ・シレジア地方のヤヴォルニーク近郊にある。
1772年(33歳) マリア・テレジアによって貴族に列せられたことにより、フォン・ディッタースドルフという家名が付け加えられた。
1786年(47歳) 皇帝の命令でオペラ『医師と薬剤師』を作曲する。ケルトナー・トーア劇場で1788年に初演されて大成功をおさめ、当時モーツァルトの栄光をすっかり奪ったと伝えられる。
1795年(56歳) パトロンであった領主司教シャフゴチ伯爵の死後、かろうじて生活が可能な年金を受けるようになる。その後、関節炎と貧しさの中で、イグナーツ・フォン・シュティルフリート男爵からボヘミアの領地ロート・ロータ(Roth-Lhota, 現在のチェコの風光明媚で美しい城のあるチェルヴェナー・ルホタ Červená Lhota)の住居を提供され、残りの人生をそこで家族と共に生活する。
1799年10月24日(60歳) ロート・ロータの近くにあるノイホーフのノイホーフ城(現チェコのノヴィー・ドヴール)にて死去する。
コントラバス協奏曲を残していることから、時にコントラバス奏者と誤解されることもあるが、実際はブルク劇場で定期演奏会が開催されていたほどのヴァイオリン演奏の巨匠であった。当然ヴァイオリン協奏曲も多数作曲している。ディッタースドルフの作品は好評に迎えられ、1760年代初期にはレオポルト・ホフマンやヨセフ・ハイドン、ヴァンハルらと並んで、ウィーンでの楽壇の指導的な立場にあった(ハイドン、モーツァルト、ヴァンハルとは弦楽四重奏を組んだこともある)。晩年はほとんど見捨てられたようになり、出版社からは出版を断られた。最晩年の1799年に自叙伝執筆。
《コントラバスとヴィオラのための協奏交響曲》
出典@koniiri
《コントラバス協奏曲第2番》
出典@koniiri
《オーボエ協奏曲》
出典@HarpsichordA6
3-キース・エマーソン
Keith Emerson
1944年11月2日 ~ 2016年3月10日
イギリス出身のキーボーディスト、作曲家。
公式ホームページ
www.keithemerson.com
1970年代前半にイングランドのプログレッシブ・ロック・バンド「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(Emerson, Lake & Palmer, ELP) のメンバーとして活動し、本国イギリスやアメリカを初め、世界的な人気と知名度を獲得した。また、ロバート・モーグに開発されて間も無いシンセサイザー(モーグ・シンセサイザー)を世界に知らしめた功績でも知られる。モーグからは「ロックという分野においてシンセサイザーをどう使うかという方法論を提示した最初の人物」と評されている。
2012年、ELPの組曲『タルカス』が吉松隆によってオーケストラ化され、NHK大河ドラマ『平清盛』の劇中音楽に採用された