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作曲家のお誕生日に代表曲を《215》ヨハン・ミヒャエル・ハイドン、ケルビーニ、橋本 國彦

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1-ヨハン・ミヒャエル・ハイドン
Johann Michael Haydn
1737年9月14日 – 1806年8月10日 オーストリアの古典派の作曲家。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟。

1755年までウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊で歌うかたわら、オルガン、ピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。
1757年(20歳) – ハンガリーのグロースヴァルダイン司教の楽長となる。
1763年(26歳) – ザルツブルク大司教ジギスムント3世(Sigismund III. Graf von Schrattenbach, 1753年 – 1771年)の宮廷楽団の楽長に就任。
1771年(34歳) – ジギスムント大司教の死に際して『レクイエム ハ短調』(MH 155)を作曲。
1777年(40歳) – 聖三位一体教会のオルガニストとなる。
1782年(45歳) – 前年にザルツブルクを去ったモーツァルトの後任として宮廷及び大聖堂オルガニストとなる。
1800年(63歳) – ザルツブルクがフランス軍に占領され、財産や給料を奪われる。兄ヨーゼフが送金して助けている。また、マリア・テレジア皇后がミサ曲、後にレクイエムを委嘱した。アイゼンシュタットに兄ヨーゼフを訪ねた時、宮廷での第二楽長の職を提案されたが、ザルツブルクに留まる事を選んだ。
1804年(67歳) – 推薦されスウェーデン王立音楽アカデミーの会員になる。
1806年(69歳) – 8月10日にザルツブルクで死去。

カール・マリア・フォン・ウェーバーは最も有名な弟子である。また、弟子のアントニオ・ディアベリはミヒャエル・ハイドンのための葬送行進曲を作曲。

《交響曲第39番》
https://youtu.be/hstRnX612iM?si=47KLkiapupwjF4UE
出典@ComposersbyNumbers

《サルヴェ・レジーナ》
https://youtu.be/RFWzhHcc2Jo?si=l_cu5bL7ZpHoMHJN
出典@JohannMichaelHaydn17371806

 

2-ルイージ・ケルビーニ

Luigi Cherubini

1760年9月14日- 1842年3月15日

イタリア出身のフランスの作曲家・音楽教師。

本名はマリア・ルイージ・カルロ・ゼノービオ・サルヴァトーレ・ケルビーニ(Maria Luigi Carlo Zenobio Salvatore Cherubini)

6歳の時に音楽家の父親から音楽教育を受け、13歳までに宗教曲をいくつか作曲した。1778年から1780年まで、ボローニャとミラノで音楽を学ぶ。
1788年にパリに定住。最初の大きな成功は、ポーランドを舞台にしたオペラ『ロドイスカ』(Lodoïska, 1791年)で、この作品は真に迫ったヒロイズムが称賛された。
これに続くのが、ケルビーニの最も有名な作品である『メデア』(Médée, 1797年)https://youtu.be/fW-gtPnslo8?si=MBdSa0A7mA-FrjPO(序曲のみ)出典@KuhlauDilfeng2
と、『二日間、または水の運搬人(英語版)』(Les deux journées, ou Le porteur d’eau, 1800年)
https://youtu.be/T0RBleeinXE?si=W5xl0bbrTjM6MBcE(序曲のみ)出典@KuhlauDilfeng2
である。
1795年になると、ケルビーニは現・パリ国立高等音楽院の視察官に任命された。
1806年に『ファニスカ』(Faniska)https://youtu.be/Ob2UTGfc8Q8?si=SqaBZZ_hEbxPisYU(序曲のみ)
出典https://youtube.com/channel/UCBnT50PQ32zYe4jrHAlr6nQ?si=2IBCM_SJWMRAc-vw
の上演が制作されると、とりわけハイドンやベートーヴェンの熱心な支持をかち取った。
ケルビーニは、王政復古の下で「王室音楽監督」(surintendant de la musique du roi)にも任命された。1815年にロンドン・フィルハーモニック協会の依嘱で、交響曲、演奏会用序曲、オーケストラつき合唱曲を作曲、これらの上演のためにロンドンに渡って指揮を行い、これによっていっそうの国際的名声を勝ち得た。

ルイ16世の処刑を悼んで作曲された『レクイエム ハ短調』(1816年)
https://youtu.be/UWQOTRLP1Cs?si=RN_UWYRt0p3jO0nR
出典@pedrohenriqueprata
は、非常に大きな成功をおさめた。
この作品はベートーヴェンだけでなく、シューマンやブラームスにも絶賛されている。ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価した。なお、ケルビーニ自身がハイドンやモーツァルトの支持者だった。
1822年にケルビーニはパリ音楽院院長に就任。
1835年に高弟ジャック・アレヴィの補佐を加えて『対位法とフーガ講座』(Cours de contrepoint et de fugue)を上梓した。
81歳でパリに永眠した。墓はペール・ラシェーズ墓地の、ショパンの墓の4つ左隣にある。

3-橋本 國彦
Kunihiko Hashimoto
1904年9月14日 -1949年5月6日
日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者。

東京都本郷生まれ。ヴァイオリンを辻吉之助に師事。
1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。なお、この頃ヴァイオリンを教えた弟子に朝比奈隆がいる。
文部省の命により1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)の間、ウィーンに留学する。帰国途中に寄ったロサンゼルスではアルノルト・シェーンベルクに師事するなど、積極的に新しい音楽を学んだ。帰国後は日本洋楽界きってのモダニストとして、作曲家・編曲家として活躍。1933年(昭和8年)母校の教授に就任。門下には、矢代秋雄を筆頭に芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎らがいる。
1949年、胃癌のため44歳で鎌倉で死去した。

《交響曲第1番》
https://youtu.be/_W–31PCw40?si=59sr61rCtFfTpMGO
出典@atsusiueno

《感傷的諧謔》
https://youtu.be/04qp6ScC6QU?si=q-VQsG_q2Tigr06F
出典@pedrohenriqueprata

 

Author: Sonare Piano Lessons

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