1-ジュリオ・ブリッチャルディ
Giulio Briccialdi
1818年3月2日 ~ 1881年12月17日
「フルートのパガニーニ」とも称されるジュリオ・ブリッチャルディは、19世紀を代表する名フルート奏者であり、作曲家、さらには楽器の改良者としても大きな足跡を残した。彼の卓越した技巧と華麗な演奏スタイルは、まさにヴァイオリンの巨匠パガニーニを彷彿とさせるものだった。ローマでキャリアをスタートさせたのち、ナポリやロンドンを経てフィレンツェに拠点を移し、各地で熱狂的な人気を博した。作曲家としても、フルートの限界を押し広げる技巧的な作品を数多く生み出し、室内楽にもその才能を発揮。イタリア音楽特有の流麗な旋律と輝かしい表現力で、今なおフルート界に多大な影響を与えている。
木管五重奏曲
https://youtu.be/e2BH3J4cd5k?si=8owoIDK0NlPQlUmE
ヴェネツィアの謝肉祭
https://youtu.be/5olg5OGiaQc?si=ARcCxvLgPmlz3pm6
2-ベドジフ・スメタナ
Bedřich Smetana
1824年3月2日 ~ 1884年5月12日チェコ音楽の父、情熱と革新の作曲家
民族主義的な作風とチェコ音楽の礎を築いた彼の生涯は情熱と挑戦に満ち、音楽を通じてチェコの誇りを世界に響かせた。
幼少期から音楽の才能を発揮し、プラハで学んだ後、ピアニスト・指揮者として活躍。1856年にはスウェーデンへ渡り、音楽活動を展開した。1860年代に祖国へ戻り、チェコ国民劇場の創設に関わりながら、オペラや管弦楽作品を次々と生み出した。代表作《売られた花嫁》は、ユーモアと民族色豊かな旋律で観客を魅了し、現在も世界中で愛され続けている。
なかでも交響詩《わが祖国》は、彼の音楽的・愛国的情熱の集大成だ。特に第2曲《モルダウ》は、母国を流れるヴルタヴァ川(モルダウ川)の情景を描き、その壮麗な旋律はチェコの魂そのものと言える。
しかし、人生は決して順風満帆ではなかった。晩年、彼は聴覚を失いながらも作曲を続け、最後まで音楽への情熱を貫いた。スメタナの音楽は、民族の誇りと個人の苦悩を織り交ぜながら、今なお世界の人々の心を打ち続けている。
今年は教室発表会で国歌メドレーを全員で準備しています。今までにない祖国愛に感動するメドレーになりそうです。作曲家達の祖国愛に触れると(昨日紹介のショパンのマズルカなど)、そしてこのモルダウも何度も聞いても涙が溢れます。
▶︎交響詩《我が祖国》
https://youtu.be/6rENhwU8xJ8?si=4cO1TabQQztSunj2
I. ヴィシェフラド 0:06
II. ヴルタヴァ(モルダウ) 16:08
III. シャールカ 29:05
IV. ボヘミアの森と草原より 39:35
V. ターボル 53:00
VI. ブラニーク 1:06:05
題名解説
I. ヴィシェフラド(Vyšehrad)
プラハにある伝説的な城跡で、チェコの歴史と神話に深く結びついた場所。「高い城」または「高台の城」という意味。
II. ヴルタヴァ(モルダウ)(Vltava)
チェコを代表する大河ヴルタヴァ川(ドイツ語ではモルダウ)のこと。
III. シャールカ(Šárka)
チェコの伝説に登場する女性戦士の名前。愛と裏切りの物語に基づき、シャールカが敵を巧妙に誘い込み、復讐を果たすドラマティックな展開が音楽で表現されている。
IV. ボヘミアの森と草原より(Z českých luhů a hájů)
チェコの美しい田園風景や自然の恵みを讃えた楽章。
V. ターボル(Tábor)
15世紀のフス戦争で、フス派の拠点となったチェコ南部の町の名前。スメタナは、フス派の戦士たちの不屈の精神を象徴。
VI. ブラニーク(Blaník)
チェコの伝説に登場する山の名前。伝説によると、ブラニーク山の中には聖ヴァーツラフ率いる騎士たちが眠っており、国が危機に陥ったときに目覚めて祖国を救うとされている。
▶︎オペラ
《売られた花嫁》Prodaná nevěsta
残念ながら字幕付きが見つかりませんでした。
✴︎あらすじ✴︎
マジェンカとイェニークは愛し合っていますが、イェニークがよそ者であるため、マジェンカの両親は二人の結婚を認めません。
さらに、マジェンカは村の大地主の次男との結婚を強いられ、困り果ててしまいます。
この結婚を金目当てで取りまとめようとしているのが、ずる賢い結婚仲介人のケツァルです。
彼はイェニークに金を渡し、マジェンカを諦めさせようとします。
しかし、実はイェニークこそが、家を出た大地主の長男だったのです。
彼はケツァルの証文を逆手に取り、金を受け取る代わりに「大地主の息子とマジェンカが結婚する」ことを承諾します。
それを知ったマジェンカは「自分はお金で売られたのか」と嘆きますが、証文には「大地主の息子」と書かれているものの、具体的な名前は記されていませんでした。
そこでイェニークは「実は自分こそ大地主の長男だ」と名乗り出て、二人は晴れて結ばれ、めでたしめでたしとなるのでした。
3-クルト・ヴァイル
Kurt Weill
1900年3月2日 ~ 1950年4月3日
クルト・ヴァイル:ジャズと演劇を融合した革新の作曲家
クルト・ヴァイル(1900-1950)は、ワイマール共和国時代のドイツ音楽界を代表する作曲家であり、ジャズの要素を取り入れた舞台音楽で名を馳せた。1933年、ナチス政権の台頭によりドイツを離れ、その後アメリカに移住。アメリカ市民となった後は、ブロードウェイ・ミュージカルに活動の場を広げた。
演劇音楽の分野では、劇作家ベルトルト・ブレヒトと組み、《三文オペラ》を発表。これは18世紀の《乞食オペラ》を現代ロンドンに置き換え、ジャズの影響を色濃く反映した作品である。他にも《マハゴニー市の興亡》など、社会風刺を織り交ぜた舞台作品を手がけた。アメリカでは、ユダヤ人のアイデンティティをテーマにした《永遠の道》(1937年)がニューヨークで大きな注目を集めた。
オーケストラ作品では、《三文オペラ》の音楽をもとにした《小さな三文音楽》を編曲。また、1921年と1933年に2つの交響曲を残している。ヴァイルの音楽は、舞台芸術とジャズ、オーケストラ音楽を融合させ、現代においても再評価が進んでいる。
音楽劇「三文オペラ」
英語字幕付き
https://youtu.be/xX883eqLBKE?si=A8_K1axRpQzeW3Vl
4-渡邊浦人
Urajito Watanabe
1909年3月2日~1994年10月18日
渡辺浦人(わたなべ うらと、1909年3月2日 – 1994年10月18日)は、青森県青森市出身の作曲家です。幼少期に東京へ移住し、東京音楽学校(現・東京芸術大学)でヴァイオリンを大塚淳、桂平太に、作曲と指揮を山本直忠に師事しました。
1937年から18年間、東京都教員管弦楽団の常任指揮者を務め、「三協」を組織して民族色の濃い音楽の創造を目指しました。1941年、交響組曲「野人」https://youtu.be/G9OLwJ14HIA?si=ebO6hYLIbm_qCPzBで第10回音楽コンクール第1位と文部大臣賞を受賞し、この作品は戦中から戦後にかけて数多く演奏されるヒット曲となりました。
戦後は、早坂文雄や清瀬保二らと新作曲派協会を結成し、1952年には教職を辞して創作活動に専念しました。また、1955年には国際民族音楽評議会の招きで第3回国際民族音楽祭に日本代表として出席し、欧州各国を遊学しました。 その後、日本民族音楽協会長や名古屋芸術大学教授を務め、文部省音楽教科書検定委員、器楽教科書編纂委員、学校音楽コンクール審査員、東映動画部音楽顧問などを歴任しました。
代表作には、交響組曲「野人」、組曲「津軽」https://youtu.be/Q9McZiXDRA4?si=oXg9CDKeShkv9Q58、交声曲「原体剣舞連」https://youtu.be/YZzXhdsGV2c?si=KOoRl1wgkiVPW0T3(声の使い方面白いですし、効果的です)
などがあり、映画音楽も88本に及びます。 1981年に勲四等旭日小綬章、1983年に青森県褒賞、1984年に芸能功労者表彰を受けました。 1994年10月18日、85歳で逝去しました。