●アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ダルゴムイシスキー
Aleksandr Sergeevich Dargomizhskii
1813年2月14日 ~ 1869年1月17日ロシアの作曲家。トゥーラ県の貴族の家に生まれ、サンクトペテルブルクで教育を受けた。幼少期から音楽の才能を示し、当初はサロン音楽の分野で名声を得ていたが、1833年にミハイル・グリンカ(近代ロシア音楽の父と言われる1804-1857年)と出会い、作曲に専念する。グリンカの影響を受けた彼は、ロシア語のイントネーションを音楽に取り入れることを研究し、その成果は後のオペラ作品に反映された。
1839年、ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』を題材にしたオペラ《エスメラルダ》を作曲し、1847年に上演。1856年には代表作となるオペラ《ルサルカ》が上演され、ロシア語の音楽化という試みが実を結んだ。しかし、彼の作品は1860年代まで国内外で成功を収めることができず、ベルギーでは好意的に評価されたものの、広く認められるには至らなかった。
同時期、ダルゴムイシスキーのサロンには、のちに「ロシア五人組」として知られるムソルグスキー、バラキレフ、キュイらが集うようになり、彼は彼らの精神的指導者となった。晩年にはロシア的な音楽表現をさらに追求し、プーシキンの戯曲に基づくオペラ《石の客》を作曲。この作品は、旋律的レチタティーヴォ(語るような旋律)の手法を先駆的に取り入れた点で注目され、ムソルグスキーやドビュッシーに影響を与えた。しかし、第一幕の終結部分とオーケストレーションを未完のまま残し、セザール・キュイとリムスキー=コルサコフによって補完された。1872年に初演され、五人組から高く評価されたものの、標準的なオペラ・レパートリーとして定着することはなかった。
ダルゴムイシスキーは、グリンカと五人組、さらにチャイコフスキーの世代をつなぐ橋渡し的な存在として、ロシア・オペラの発展に貢献した。彼の試みたロシア語の音楽化は、のちのムソルグスキーの手法にもつながり、ロシア音楽の民族的特徴を確立する上で重要な役割を果たした。
オペラ《ルサルカ》
ダルゴムイシスキーの《ルサルカ》(1856年初演)は、プーシキンの戯曲『ルサルカ』(未完)に基づいています。物語は、貴族の青年と水の精となった娘の悲劇を描いており、社会批判的な要素も含まれています。
(ドヴォルザークの《ルサルカ》(1901年初演)は、チェコの民話や童話にインスピレーションを受け、ヤロスラフ・クヴァピルの台本によって作られました。特に、アンデルセンの『人魚姫』やスラヴ民話の要素が取り入れられており、やはり、水の精ルサルカが人間の王子への愛ゆえに悲劇的な運命をたどる物語です。)
オペラ3つのプレイリスト作りました。ほかのピアノ小品、歌曲なども入っています。
《エスメラルダ》
《ルサルカ》
《石の客》
の順番です。(ロシア語原のみ)