ボロディンは、1833
年11
月22
日にに、
サンクトペテルブルグに
生まれました。
空想することが好きな子供だったそうです。そして、家では流行っていた軽快なダンスの曲がかかっていて、ポルカ、カドリール、ギャロップ、ランシェなどを踊るのが大好きだったそうです。9歳頃にはあこがれのダンスのお相手への想いを込めてピアノの連弾用のポルカを書きました。フルートとピアノを先生について習い、14歳頃にはフルートとピアノのコンチェルト、2つのヴァイオリンとチェロのための変奏曲を作曲しました。
音楽と
同じくらいに
好きだったのは
化学でした。
ですから、
ペテルブルグ医科大学を
卒業して、お
医者さんになります。
医学の
国際会議で
西ヨーロッパを
訪れ、
ムソルグスキーと
出会い、
シューマンの
音楽を
紹介され、その
新しい
音楽に
魅力を
感じたそうです。
25
歳ごろ、
ドイツ・
ハイデルベルグ大学に
留学し、
ロシアの
偉大な
化学者や
ピアニストの
エカテリーナ・
セルゲイェヴナ・
プロトポポヴァと
出会います。
29
歳頃に
プロトポポヴァと
一緒に
帰国します。その
後、
亡くなる53
歳まで
母校の
医科大学の
教授をします。
本業は
化学者として
目覚ましい
業績を
残しながら、
作曲をしていくのです。
30
歳頃に
プロトポポヴァと
結婚します。「
弦楽四重奏曲第2番」の
第3楽章ノクターンは
愛の
告白から20
周年を
迎えた
妻、
エカテリーナ・
ボロディナに
記念として
献呈されています。
優しさあふれる
曲です。
1862
年(29
歳頃)
ミリイ・
バラキエフの
グループと
知り
合います。
リムスキー・
コルサコフ、
キュイ、
ムソルグスキーが
バラキエフの
指導を
受けて
作曲活動をしていて、
ボロディンが
入って、
ロシアの5
人組となりました。
2013年8月22日by Sonare Piano Lessons11月生まれの音楽家:アレクサンドル・ボロディン はコメントを受け付けていません