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作曲家のお誕生日に代表曲を《276》ヴェーベルン、ロータ

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1-アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルンAnton Friedrich Wilhelm von Webern
1883年12月3日 – 1945年9月15日
オーストリアの作曲家、指揮者、音楽学者。ウェーベルンとも書かれる。

アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルクと並ぶ新ウィーン楽派の中核メンバーであり、20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開した。
ウィーンに生まれたヴェーベルンは、貴族の家系に育つ。
1902年にウィーン大学に入学し、グイード・アドラーのもとで音楽学を専攻。フランドル楽派の多声音楽研究で学位を取得したことは、彼の後の対位法的な作曲様式に大きな影響を与えた。
1904年からシェーンベルクに師事して作曲を学び、1908年に管弦楽のための
《パッサカリア ニ短調》op.1

出典@berlinphil

で独立を許された。
独立後は生計を立てるため、イシュル、プラハなど各地で指揮者として活動し、第一次世界大戦後には師シェーンベルクを補佐して私的演奏協会の設立に尽力。
1922年から1934年まではウィーン労働者交響楽団の指揮者を務め、同門の友人ベルクの急逝後には、彼の遺作《ヴァイオリン協奏曲》のイギリス初演を指揮。
ヴェーベルンの作風は師事後の無調期(作品3以降)に急速に凝縮され、極度に短い楽曲、簡素なテクスチュア、音色の厳密な選択、そして緻密な構造が特徴となる。
1925年の《3つの宗教的民謡》作品17

出典@bladesofgrass9333
から十二音技法を導入し、これ以降の作品はすべてこの技法で書かれている。彼は音列に対称性(シンメトリー)を持ち込み、音高以外の要素も組織的に扱おうとする傾向を見せた。
1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、ヴェーベルンの音楽は「頽廃音楽」の烙印を押され、公の演奏活動は困難になる。彼は体制への絶対的な信頼を寄せていたにもかかわらず、契約先の出版社での編集・校閲で生計を立てざるを得なかった。
第二次世界大戦終戦直後の1945年9月15日、ザルツブルク近郊のミッタージルに避難していたヴェーベルンは、喫煙のためにベランダに出た際、闇取引の合図と誤解したオーストリア占領軍の米兵に誤射され、不慮の死を遂げた。
寡作で生前はほとんど顧みられなかったヴェーベルンだが、その精緻を極めた様式と、音高以外の要素まで組織化しようとする探求は、戦後の「ヴェーベルン・ルネッサンス」運動の中で再評価された。彼の音楽は、ピエール・ブーレーズやシュトックハウゼンら前衛音楽の旗手たちに決定的な影響を与え、20世紀後半の音楽史に多大な功績を残した。

ピティナピアノ曲事典より

https://enc.piano.or.jp/persons/30

《弦楽四重奏のための「緩徐楽章(ラングザマーザッツ)」》

出典@olla-vogala4090

《夏の風の中で》

出典@berlinphil

《J.S.バッハの「6声のリチェルカータ」に基づく》

出典@RoddersClassical

《管弦楽のための6つの小品》

出典https://youtube.com/channel/UCzKwIChbQd-bDgmfylo-Rng?si=3XeCnpX3Th1n-C2_

《ピアノのための変奏曲》

出典https://youtube.com/channel/UCWQtVTm5seT6flYDJU4pETw?si=mDQuJi7Gn9UmW2Xk

《4つの小品op.7》

出典@GNGianopoulos

《弦楽四重奏のための5つの楽章》

出典@violinthrill

再生リスト

 

2-ニーノ・ロータ
Nino Rota
1911年12月3日 – 1979年4月10日イタリアの作曲家。
クラシック音楽と映画音楽で活躍した。『ゴッドファーザー』のテーマ曲など数々の有名曲がある。本人は「本業はあくまでクラシックの作曲であり、映画音楽は趣味にすぎない」と言っていたが、映画音楽の分野で多大な業績を挙げており、死後クラシックの作品も注目を浴びるようになった。

北イタリアのミラノ出身。
音楽一家に生まれ、4歳でピアノの達人となる。8歳で最初のオラトリオを作曲を始める。
父に捧げたオラトリオ「若き聖ヨハネ」がミラノで初演され、「モーツァルトの再来」と称賛され、12歳でミラノ音楽院に入学。
13歳でオペラを作曲。
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の作曲科を17歳で修了。
その後、米国に渡り、フィラデルフィアのカーティス音楽学校(カーティス音楽院)で学んだ。この留学中に黒人霊歌やトーキー映画に興味を持つ。
帰国後、ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻し卒業した。ピッツェッティ、アルフレード・カゼッラに個人指導を受けた。
大学卒業後は音楽教師となり、クラシック音楽の作曲家として活動を開始した。生涯に書いたクラシック作品は、交響曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、宗教音楽、バレエ音楽、11作のオペラなど150曲を超える。

バーリ音楽院と長年関わり、1950年に同音楽院の院長に任命された。
南イタリアのモノーポリに音楽院(現:ニーノ・ロータ音楽院)の設立に尽力し、1971年の開校時より院長を務めた。
1942年以降、映画音楽の作曲を開始し、生涯にわたり約80本、あるいは158もの映画音楽を作曲した。
フェデリコ・フェリーニ監督: 1951年にフェリーニと出会い、亡くなる年(1979年)まで、『白い酋長』(1951)から『オーケストラ・リハーサル』(1979)まで、ほぼすべての映画で協働した(例:『甘い生活』(1960))。
フランシス・フォード・コッポラ監督: 代表作の一つに『ゴッドファーザー』があり、「愛のテーマ」は広く親しまれた。
フランコ・ゼフィレッリ監督: 『ロミオとジュリエット』(1968、挿入歌「ワット・イズ・ア・ユース」をグレン・ウェストンが歌唱)、『じゃじゃ馬ならし』の音楽を担当した。
ルキノ・ヴィスコンティ監督: 『若者のすべて』(1960)、『豹』などで共作した。
ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960)、1949年のイギリス映画『ガラスの山』など。
受賞歴(主要)
アカデミー作曲賞: 1975年 受賞(『ゴッドファーザー PARTII』)
英国アカデミー賞(アンソニー・アスキス賞): 1973年 受賞(『ゴッドファーザー』)
ゴールデングローブ賞(作曲賞): 1973年 受賞(『ゴッドファーザー』)
1975年と1976年の2回。1976年の来日時には、国内11か所で自作を取り上げたコンサートを開催し、自ら指揮も振った。
67歳のとき、ローマで心臓発作により死去。生涯結婚はしなかったが、娘が1人いる。

Author: Sonare Piano Lessons

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