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作曲家のお誕生日に代表曲を《240》山田一雄

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山田 一雄
Kazuo Yamada
1912年10月19日-1991年8月13日
本名、和雄。和男、夏精(かせい)を経て1968年に一雄と改名。)は、「ヤマカズさん」の愛称で親しまれた指揮者であり、作曲家。
ナクソスミュージックより略歴

日本の作曲家・指揮者である山田一雄は、主に20世紀フランスの作曲家たちの作風を思わせる歌曲の作曲家として、そして橋本國彦(1904–1949)の後継者として記憶されている。戦前には、本格的な管弦楽作品を書ける数少ない日本人作曲家の一人として知られていたが、戦後になると、彼はそれ以前の管弦楽作品を公表することを拒んだ。その結果、戦後はもっぱら指揮者としてのみ評価され、彼の歌曲だけがかろうじて忘却を免れた一方で、管弦楽作曲家としての経歴は完全に忘れ去られてしまった。

1931年、山田は東京音楽学校のピアノ科に入学し、レオ・シロタに師事した。作曲はマーラーの弟子クラウス・プリングスハイムに、指揮はヨーゼフ・ローゼンシュトックに学び、1937年に《日本民謡による前奏曲》がJOAK(現在のNHK)が主催した管弦楽曲コンクールで第一位を獲得し、作曲家としてデビューした。1942年には日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)の専任指揮者に就任し、尾高尚忠とともに今日のNHK交響楽団を築き上げた。

1953年には東京藝術大学で指揮法の教授として後進の指導を始め、そこから小林研一郎、小泉和裕、石丸寛、田中良和といった次世代の指揮者たちが育った。指揮者としての山田は、海外の主要作品を日本に紹介する一方で、日本作品の初演も数多く指揮した。たとえば、諸井三郎の《交響曲第3番》、池内友次郎の《二つの交響的楽章》、伊福部昭の《ラウダ・コンチェルタータ》などである。

彼の作風には、リヒャルト・シュトラウス、ベラ・バルトーク、パウル・ヒンデミット、そして20世紀フランス音楽といった多様な影響が見られる。また、当時の前衛的手法であった表現主義や新即物主義(Neue Sachlichkeit)にも関心を示していた。しかしながら、彼にとって最も大きな影響はマーラーの音楽であり、これは師であるクラウス・プリングスハイムがマーラーの弟子であったことによるところが大きい。「私が最も強い親近感と共感を抱く人物はマーラーだ」と告白している。

大管絃楽のための交響的「木曾」

出典@classicalongakulovers7252

Author: Sonare Piano Lessons

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