1-アンドレ・ジョルジュ・オンスロー
Andre George Louis Onslow
1784年7月27日 ~ 1853年10月3日
フランスの作曲家。父親はイギリスの連合王国貴族たるオンズロー伯爵家の出だったが、フランスに亡命中であった。そのつながりからロンドンで基礎教育を受け、同地でヨハン・バプティスト・クラーマーにピアノを学ぶ。作曲はパリでアントニーン・レイハに学んだ。
古典派音楽とロマン派音楽の過渡期に位置し、幅広いジャンルの楽曲を遺したが、こんにちでは室内楽によって再評価されている。
「銃弾」という愛称のある弦楽五重奏曲第15番
https://youtu.be/A1PtGtNcbmw?si=3kxsgrK-5_Ax2MH-
出典@PacificMusicFestival
が有名である(オンスローは、貴族のたしなみとして狩猟を趣味としており、その際の事故で聴力を失っている)。
同時代のフランスではなかなか認識されなかったが、メンデルスゾーンやシューマンによって高く称賛され、ドイツに紹介された。
九重奏曲
https://youtu.be/Zi9_ehP5Bwc?feature=shared
出典@RoundTopFestivalInstitute
2-エンリケ・グラナドス・イ・カンピニャ
Enrique Granados y Campina
1867年7月27日 -1916年3月24日
スペイン近代音楽の作曲家、ピアニスト。7歳年長のイサーク・アルベニス(1860年 – 1909年:5月29日に紹介)とともに、スペイン国民楽派の代表的存在。
カタルーニャ地方のリェイダ(カスティーリャ語表記ではレリダ)に生まれた。
幼いころから楽才を現わしたグラナドスは、はじめ土地の軍楽隊指揮者から楽典一般を教わった。その後、バルセロナに引っ越すと、ホアン・バウティスタ・プホール(en:Joan Baptista Pujol, 1835年 – 1898年)にピアノを師事した。同じクラスには、後にグラナドスとたびたびデュオ・コンサートを催すことになるホアキン・マラッツ(Joaquim Malats i Miarons, 1872年 – 1912年)がいた。グラナドスは16歳でリセウ高等音楽院(バルセロナ音楽院)のコンクールで首席を得た後、フェリペ・ペドレル(1841年 – 1922年)に師事する。 ペドレルからは作曲を学び、とりわけ民族主義的な精神面で大きな影響を受けた。
1887年、グラナドスはパリ音楽院で学ぶためにパリに出るが、折悪しくチフスにかかったために入学できなかった。しかし同音楽院の教授シャルル=ウィルフリッド・ド・ベリオ(1833年 – 1914年)から2年間個人レッスンを受ける。
1889年にバルセロナに戻り、グリーグのピアノ協奏曲でピアニストとしてデビュー。
1892年、25歳で全12曲の『スペイン舞曲集』に着手(1900年完成)、この曲集はグラナドスの出世作となり、広く注目を集めた。
1898年、31歳でオペラ『マリア・デル・カルメン』をマドリードで上演、成功を納める。
1904年にはマドリード音楽院が主催した音楽コンクールに『協奏的アレグロ』で応募して優勝した。このときマヌエル・デ・ファリャも同名曲で応募し、審査員賞を受賞している。
1914年にはサル・プレイエルで自作演奏会を催して絶賛を浴び、仏西文化交流に貢献したとしてレジオンドヌール勲章を受章。
1901年には「アカデミア・グラナドス」を設立し、フランク・マーシャル(1883年 – 1959年)らのピアニストや作曲家を育てた。マーシャルはグラナドスの死後にアカデミアを引き継ぎ、その門下からはアリシア・デ・ラローチャ(1923年 – 2009年)やローサ・サバテア(1929年 – 1983年)らの名手が輩出した。
アメリカのメトロポリタン歌劇場からニューヨークでオペラ『ゴイェスカス』を初演のため、夫妻での列席となり、1916年1月、ニューヨークでの初演は大成功となった。
グラナドス夫妻は帰路、乗船したサセックスは、ロンドン経由で英仏海峡を渡航中、ドイツ潜水艦による魚雷攻撃を受け、夫妻はその犠牲となった。 このとき、グラナドスはいったん救命ボートに救い上げられようとしたが、波間に沈もうとする妻アンパロの姿を見て再び海中に身を投じ、二人はもつれ合うように暗い波間に消えたという。48歳と8ヶ月で亡くなる。
《スペイン舞曲集》
https://youtu.be/r0M4cBV4SXQ?si=KpnVvbPJbyUwMKA2
出典@WalkIntoSiena
《オペラ(組曲)「ゴイェスカス」》第1集
https://youtu.be/SYf7FU3Beno?si=hI8tQAKxRB11LJkb
出典@deucalionproject2407
《演奏会用アレグロ》
出典https://youtube.com/channel/UCfC-YFu9EKtnDp6h7XRbdaw?si=kS5hgmul9NzXNAM8
3-ドホナーニ・エルネー
Dohnányi Ernő
または、
エルンスト・フォン・ドホナーニErnst von Dohnányi
1877年7月27日- 1960年2月9日
ハンガリー人のピアニスト、作曲家、指揮者。
当教室の定番テクニック教則本の作曲家ですね。効果、効率の良いこのテクニック教則本でテクニック練習時間を削減できた方も多いのではないでしょうか。
ピティナ・ピアノ曲事典より
https://enc.piano.or.jp/persons/197
《弦楽三重奏のためのセレナード》
https://youtu.be/3B_oUmdWW-I?si=u0oG_lZf31OSJ4Lg
出典@ramonviolist
《チェロと管弦楽のためのコンチェルト・シュトゥック》
https://youtu.be/JLIN7bhWNrA?si=0Oye2_RSi658zZOz
出典@RoddersClassical
《ハンガリー民謡変奏曲》
https://youtu.be/9ewTgOhJVhw?si=FxK9ZwfCmpAgKsU3
出典@polishscores