1-サルヴァトーレ・ファルボ=ジャングレコ
Salvatore Falbo Giangreco
1872年5月28日 – 1927年4月8日イタリアの作曲家。
略歴はこちらから
https://plettro-tokio.net/data/falbo.htm
シチリアのシラクーサ北方アヴォラに裕福な地主の長男として生れ、パレルモの音楽学校でピアノと作曲を学んだ。1896年に卒業、その5年後に作曲コンクールに入賞、ニコシアの吹奏楽団の指揮者となり、その後アヴォラの吹奏楽団指揮者を1922年まで務めた。
マンドリンの作品は、ミラノのイル・プレットロ誌のコンクールに入賞した、フル・オーケストラ合奏曲の
「組曲田園写景 (1910)」
https://youtu.be/EJvScKnw3Oc?si=cAk9Ilfs7KiZkKGU
出典@chiacchieramandolinorchest7653
「序曲ニ短調 (1912)」
https://youtu.be/xQ3SpShdpT0?si=CJRoekcGro7112Ri
出典@ishimuraphilodolin
「組曲スペイン (1922)」
1楽章
https://youtu.be/t4mdgzo6aGY?si=jtfGatAu6ClBhuXj
2•3楽章https://youtu.be/dGkASpBOGJg?si=87RRnjSZ8SSJvMpP
出典@musicstarmandolinmov
「プレクトラム四重奏曲 (1922)」
https://youtu.be/Ee2QYueAKRQ?si=sfKTMse7NqfMIEgi
出典@ishimuraphilodolin
4パート合奏曲「抒情的間奏曲 (1924)」
https://youtu.be/ldnz-79xebo?si=fAHRChuqzLTbbfOu
出典@ishimuraphilodolin
の5曲を含め、全部で14曲あるが、全てイル・プレットロから出版された。それまでのマンドリン音楽を近代音楽の世界に脱皮させた革命的なもので、どれもがマンドリン音楽の至宝作品と言われている。
2-リゲティ・ジェルジュ・シャーンドル
Ligeti György Sándor
1923年5月28日 – 2006年6月12日ハンガリーの現代音楽の作曲家。
スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』、『シャイニング』、『アイズ ワイド シャット』などでリゲティの音楽を使用しているため、ご存知の方多いと思います。
リゲティは有機化学と数学に熱中していましたが、当時のハンガリーにはユダヤ人に対する入学許可人数制限があったため、入学が許されず、かわりに同地の音楽院に入学。1941年から1943年まで、コロジュヴァールの音楽院で作曲をファルカシュ・フェレンツに学んだ。
第二次世界大戦の折には、家族はバラバラに強制収容所に入れられ、父はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、弟はマウトハウゼン強制収容所で命を落とした。
終戦後リゲティは、ブダペストのリスト・フェレンツ音楽大学でコダーイ・ゾルターンやカドシャ・パール、ヴェレシュ・シャーンドル、ファルカシュ・フェレンツらのもとで音楽を学び、1950年から1956年までは同大学で和声と対位法を教えた。当時のハンガリーには戦後の西側の実験的な音楽については何の情報もはいってこなかった。リゲティは社会主義リアリズムからは距離を置き、民謡とハンガリーの古典詩を元に作曲したが、しばしば当局によって演奏が禁止されたため、非公開のまま自分のためだけに作曲するようになった。この時代に書かれた『ムジカ・リチェルカータ』
https://youtu.be/NkKV0Ze1Z6M?si=MUhaWGB1YLTqTYf5
出典@PentameronSV
弦楽四重奏曲第1番「夜の変容」
https://youtu.be/2tfHXqUTdaA?si=sCj93VFl7z6t55MC
出典@ethanblackburn5817
は、すでに独創的な音楽。
当時のリゲティはバルトークの音楽を理想とし、本人の弁によればストラヴィンスキー、コダーイ(合唱曲https://youtu.be/mgldDvZmIUg?si=a5vn4PZuRxz87ybl出典@LOFTmusicChannel)やヒンデミット(《カプリチオ》https://youtu.be/2DmbzMRpIEA?si=tu8HWKGIEhGh43aS出典@ThomasLigre)の影響を受けている。
ハンガリー動乱がソ連軍に鎮圧された1956年末にオーストリアに亡命した。
1957年から1959年にかけて西ドイツのケルンの電子音楽スタジオで働き、ウェーベルン、シュトックハウゼン、ブーレーズらの新しい音楽を吸収し、それにブダペスト時代からあたためていたアイディアを発展させて自らの音楽を作曲しはじめた。1959年からはオーストリアのウィーンに住み、1968年に同国の市民権を取得した。
1960年代にはダルムシュタット夏季現代音楽講習会で講義を行い、ストックホルム音楽大学の名誉教授の学位を授かった。
1969年から1970年にかけてベルリンのドイツ学術交流会奨学金を受け、1972年には渡米してスタンフォード大学のコンポーザー・イン・レジデンスに就任した。
1973年から1989年にかけてハンブルク音楽演劇大学で作曲の教授をつとめ、多くの弟子を輩出した。
1960年に
『アパリシオン』
https://youtu.be/Kll4ogE8PvI?si=TM9lNEuXUH_KfpHA
出典@ThePhiladelphiaOrchestra
翌年に
『アトモスフェール』
https://youtu.be/HNdHu2C9lSo?si=8Z6jl32Tqro68HZG
出典@vienna_philharmonic
という管弦楽作品を発表し、大きな反響を得た。
1960年代はじめには、ある範囲のすべての半音を埋め尽くすような作品を書いていたが、
『ルクス・エテルナ』(1966年)
https://youtu.be/vcx-4olgf10?si=jYIm00Qw2KR_c7LC
出典@KjeldenBreidenbach
以降は全音階的な旋律を複雑に重ねた技法に移行した。
トーン・クラスターと並ぶもう一つの技法は、細かい音符を機械仕掛けのように繰り返すものであり
『100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック』
https://youtu.be/EZ3svyRqNd4?si=_7oLoFTDb4-LVui3
出典@zenviolence
(どんな音楽か想像できますか?100台のメトロノームがネジがなくなるまで動き続け、そのうち速さによってバラバラに止まります。)
『コンティヌウム』
https://youtu.be/1AJoyqbMv_I?si=Lv5b0yRISmA9KTqR
出典@fermiamogiovanniallevi8026
以降しばしば用いられるようになった。
1970年代にはいると
『メロディーエン』
https://youtu.be/fZ_cK04ilbM?si=dIdYHSnDrlA6s6YA
出典@etude8174
や
オペラ『ル・グラン・マカブル』
https://youtu.be/0l43g9x_LlE?si=ArQnKofbWK5K8UnP
出典@ARDKlassik
のようにより旋律のはっきりした作風に。
『ル・グラン・マカブル』の後、一時期ほとんど作品を発表しなくなった。リゲティによるとスケッチはしていたが公表せずに廃棄していたという。
1982年の
『ヴァイオリン・ホルン・ピアノのためのトリオ』
https://youtu.be/bP0HA3lNPaw?si=TjF07Jw7SmVk2itL
出典@icp
以降、リゲティはさまざまな新しい技法を取り入れるようになった。この頃のリゲティはサミュエル•コンロン•ナンカロウ(1912- 1997アメリカ合衆国生まれのメキシコの現代音楽作曲家)を高く評価し、またアフリカの非西洋音楽にも興味を持った。またフラクタルの考え方の導入、ハンガリー民族音楽への回帰なども見られる。
この時期の代表的な作品に、最晩年まで書き続けた
ピアノのための『練習曲』
https://youtu.be/XHhZ2TzHlow?si=SdOdY8h-IoKYc4rc
出典@kobbelobbe941
『ピアノ協奏曲』
https://youtu.be/Ii3wuWURJcA?si=I2tICiAevyThZM6e
出典@umzeensemble4282
『ヴァイオリン協奏曲』
https://youtu.be/b8BNL8cdLMw?si=EdYo4d6ukwF7fcLv
出典@martaabrahamvideos
『無伴奏ヴィオラ・ソナタ』
https://youtu.be/magpFc-FAMA?si=r3stNtUfsPeLOXaK
出典@PentameronSV
『ハンブルク協奏曲』
https://youtu.be/b42WgJR9o8A?si=3FVeVp1bpoTQ9KhQ
出典@szabolcszempleni3110
キングズ・シンガーズのために書いた『ナンセンス・マドリガル』
https://youtu.be/kuY4PrC-89Y?si=D1QtbP-Ad0f0ngyB
出典@ThomasLigre
ほかの歌曲や合唱曲などがあるが、全般に寡作である。
2006年、ウィーンで死去。
木管五重奏のための6つのバガテル
https://youtu.be/mLYDXejbvJQ?si=-_36Lgkm3vRnts-n
出典@prestonatkins1337
ムジカ・リチェルカータ
楽譜面白いです
https://youtu.be/NkKV0Ze1Z6M?si=yFrkGrpJCKhtp_Qy
出典@PentameronSV
ルーマニア協奏曲
https://youtu.be/z-lGbo4bXQw?si=tooCX3NusJSBjNd-
出典@GUILLOM
バラードとダンス
https://youtu.be/4EYLmwbkLDM?si=ThsNXUVe5EGXk2D1
出典@ThomasLigre
ヴォルーミナ
https://youtu.be/wbLcI9-Js0U?si=lD_P5gXqilMxJWWe
出典@fxdmuller
3-石井 眞木
いしい まき
1936年5月28日 – 2003年4月8日日本の作曲家、指揮者。東京都出身。同じく作曲家の石井歓は兄。父は舞踏家の石井漠。
幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。
11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事。
1958年、ベルリンに留学。国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー(1月19日に紹介済み)、ヨーゼフ・ルーファーらに師事し、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。
1963年二十世紀音楽研究所の第5回現代音楽祭に参加し、ドイツ大使賞受賞。
1967年から入野義朗、諸井誠らと日独現代音楽祭の企画・運営に携わる。
1969年、西ベルリンのアーティスト・イン・レジデンスとして再渡独。以来、ベルリンと東京を拠点とし、活動を展開する。
1971年入野と東京音楽企画研究所(TOKK)を設立して副所長に就任。
1973年にはTOKKアンサンブルを結成、欧米や東南アジアに演奏旅行する。インドネシアのガムランや和太鼓演奏グループ鬼太鼓座などとの出会いから、原始的リズムへの回帰、音響の集約化などを進め、「二つの音世界からの創造」をテーマに独自の音楽を展開していく。
1999年、紫綬褒章を受章する。
2003年4月8日、甲状腺癌のため66歳で急逝。
交響詩『幻影と死』が遺作となった。
アフロ・コンチェルト
https://youtu.be/fzoycBeTaHc?si=iQRImmZyKczVH5Lp
出典@LovelyAnimalRIPS
サーティーン・ドラムス
https://youtu.be/a7HyJZtB6kU?si=atQ0HUSmNIRoasdH
出典@ChristophSietzenPercussion
彼方へ
https://youtu.be/Pt-xbvutbxw?si=QQ4I04-OBpeCqqQB
出典https://youtube.com/channel/UChchR8GNmutBhZeEzL9-ukQ?si=0ZBPUG6rMkzKJwlK
日本太鼓とオーケストラのための「モノ・プリズム」
https://youtu.be/K3wAsBXl6VI?si=ZN0_9uvAshNAJGHK
出典@tarogogo