エリック・アルフレッド・レスリ・サティ
Éric Alfred Leslie Satie
1866年5月17日 – 1925年7月1日
フランスの作曲家。
フランス第二帝政時のオンフルールに生まれる。
1870年、父は海運業を辞め、一家はパリに移住。
1872年、母が亡くなり、エリックはオンフルールにある生家で暮らす父方の祖父母に預けられた。それまでイギリス国教会の信者として育てられてきたエリックは、この時カトリックに改宗している。
パリ音楽院在学中、指導教授から才能が無いと否定され、1885年に2年半あまりで除籍になった。その間、1884年に処女作のピアノ小品『アレグロ』https://youtu.be/fobNdPziG08?si=ZoIodFMEMBHYE_cb出典https://youtube.com/channel/UChQfmn50q1PZAh2krkKBuOw?si=GMsSNBtfcLQWs4Iiを作曲した。そのほか、
『オジーヴ』
https://youtu.be/-jq7ddMRvu0?si=CIHE-jbXUxCAR4VN出典@pedrohenriqueprata
『ジムノペディ』
https://youtu.be/wnacdOIoTBQ?si=rzcPUR6-D6sHd6oM
出典@rxrx7565
『グノシエンヌ』
https://youtu.be/nfhza_GLKNg?si=tlesSWp8th28j9Pl
出典@claudedebussy1848
などを発表。
1887年からモンマルトルに居住し、1890年からコルト通り (Rue Cortot) 6番地に居住。モンマルトルのカフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、プーランク、ドビュッシー、さらにコクトーやピカソらと交流(のちにカフェ・コンセール『オーベルジュ・デュ・クル』に移る)。バレエ・リュスのために『パラード』https://youtu.be/e5fN5VsFnu4?si=oHTYjRx-O2f3gAGI出典@RoddersClassicalを作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。よく知られる『ジュ・トゥ・ヴー』https://youtu.be/r7w14ZYz2H0?si=iDYe18TFsGmjn-zt出典https://youtube.com/channel/UCsTg6zXjw4PO_7M-1lLiMfw?si=6fcWzvpKPpsShWV8はこの時の作品。薔薇十字団と関係し、いくつかの小品を書く。同一音形を繰り返す手法を用いた
『ヴェクサシオン』
https://youtu.be/tqmQ_HJfOQs?si=lrDzxCxtq0xBntt5
出典@sonofagunder
『家具の音楽』
https://youtu.be/KjSBSxWMnNo?si=qnJVBYNLgnN0eH_i
出典@witz1953
なども書いた。
なお『家具の音楽』というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって、客の邪魔にならない演奏・家具のように存在している音楽というのは重要な要素だった。そのことから彼は現在のイージーリスニングのルーツのような存在であるともいえる。また『官僚的なソナチネ』
https://youtu.be/SGPrZCvGACU?si=60h3ZIqnSS4h2FaV
出典https://youtube.com/channel/UC6rl-exMe0BgD0oprSCqv_w?si=aohap09KeELmauTL
『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』
https://youtu.be/mRiNDJg1lSE?si=6HoKWEXAlkoOXi8L
出典https://youtube.com/channel/UC6rl-exMe0BgD0oprSCqv_w?si=1DXFeES2T6mQWIi9
『冷たい小品』
https://youtu.be/MPz4WElbtZI?si=mARlKnqskrbjC1X6
出典@nadaniente115a
『梨の形をした3つの小品』
https://youtu.be/D4vyujTqbGA?si=8Ov_Eb-bjhzJquV8
出典https://youtube.com/channel/UCUROzjdfvV996Ow-GqUGsUw?si=QDdVGhtYD-DktIgK
『胎児の干物』
https://youtu.be/stv1KJwfsVY?si=I09ferL4F0DoKhRW
出典https://youtube.com/@pacotitorelli6543?si=vWTbMmnM-KDTh-x9
『裸の子供たち』(ジムノペディの語源)
のように作品に奇妙な題名をつけたことでも知られる。
1898年からパリの3キロメートルほど南部近郊アルクイユに居住。フランス社会党及びフランス共産党にも党籍を置いていた(当初は社会党に入党していたが、共産党結党と同時に移籍)。
1919年になるとダダイズムのトリスタン・ツァラ等と知り合い、フランシス・ピカビア、アンドレ・ドラン、マルセル・デュシャン、マン・レイなどを紹介された。
アルコール乱用のために肝硬変を患っていたサティは、1925年7月1日、パリ14区の聖ジョゼフ病院で亡くなった。59歳没。
バレエ「本日休演」
https://youtu.be/q1jigihfIj0?si=Tas1vECOzjOCdS5W
出典@classic-intronet3498