1-ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル
1715年1月29日 – 1777年3月1日
オーストリアの作曲家、鍵盤楽器(ハープシコードとオルガン)奏者である。
生前は非常に高名な音楽家でした。彼はウィーン宮廷作曲家ヨハン・ヨーゼフ・フックスに師事し、1739年に宮廷作曲家に任命され、その後生涯にわたり宮廷で活動しました。
音楽活動
• 様式と影響
ヴァーゲンザイルは、古典派音楽の基盤となる交響曲や協奏曲の発展に寄与し、特に「スタイル・ガラント」と呼ばれる前古典派様式の音楽で知られています。
ハイドンやモーツァルトも彼の作品に親しんだとされています。
• 主要作品
オペラ(多くがメタスタージオの台本を使用)、オラトリオ、ミサ曲、宗教音楽を作曲。特に管弦楽曲や室内楽作品が注目されており、鍵盤楽器の協奏曲ではハープシコード、オルガン、ピアノを用いたものが多くあります。
• 教育者として
フランティシェク・クサヴェル・デュシェックやヨハン・バプティスト・シェンク(ベートーヴェンの師)など、多くの弟子を育てました。
晩年
ウィーンで生涯の大半を過ごし、1777年に同地で亡くなりました。現在では彼の名はあまり知られていませんが、その音楽は18世紀の古典派音楽の発展に大きな影響を与えました。
ソナタヘ長調
ソナタニ長調チェンバロで
低音弦楽器のためのソナタハ長調
出典@vitaliyshatov
2-ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール
Daniel-François-Esprit Auber
1782年1月29日 – 1871年5月12日は、フランスの作曲家で、特にオペラ・コミックとグランド・オペラの発展に重要な役割を果たしました。祖父はルイ16世に仕えた画家で、彼自身は裕福で教養ある家庭に育ちましたが、音楽家としてのキャリアを歩むまでには紆余曲折がありました。
生涯の概要
初期の教育と音楽の道
若い頃は音楽と商業の両方に触れ、父の希望でロンドンのビジネス校に通いましたが、アミアン講和条約の破棄により帰国。その後、パリ音楽院でルイジ・ケルビーニに師事し、音楽家として本格的に活動を開始しました。
音楽活動の発展
父の死をきっかけに商業から音楽に専念。1825年のオペラ『マソン』で初めて成功を収め、1828年の『ポルティチの唖娘』が彼の名声を決定づけました。この作品は、ロッシーニやマイアベーアと並び、フランス・グランド・オペラの基礎を築く重要な作品とされています。
パリ音楽院院長として
1842年にケルビーニの後任としてパリ音楽院の院長に就任。彼は教育者としてもフランス音楽界を支え、ワーグナーの作品と肩を並べるほどパリの聴衆に愛されていました。
代表作と影響
代表作
約50作品のオペラを作曲し、その中でも『フラ・ディアヴォロ』『青銅の馬』『黒いドミノ』『ポルティチの唖娘』などが特に有名です。これらの作品は、洗練された作風と親しみやすさが特徴で、当時のフランス音楽シーンに大きな影響を与えました。
• 晩年とその後
晩年も音楽院院長を務めましたが、普仏戦争の影響を受けたフランスの情勢に深い失望を抱えながら1871年に死去しました。オベールの墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にあり、彼の名はパリの「オベール駅」や「Rue Auber」といった地名に残されています。
オベールは、その生涯を通じてフランス音楽界に多大な影響を与えましたが、現在では彼の作品はほとんど忘れられており、ごく一部の序曲が演奏される程度です。それでも、彼が築いたフランス・グランド・オペラの伝統は音楽史において重要な位置を占めています。
歌劇「ポルティチの娘」
出典@gattinusmusicus5914
「マルコ•スパダ」序曲
出典@bartjebartmans
3-フレデリック・ディーリアスFrederick Delius
1862年1月29日 – 1934年6月10日イギリスの作曲家で、自然や詩的な情景を音楽で描く独自のスタイルを築きました。ドイツ系商人の家に生まれ、父親の期待に反して音楽の道を選びました。
青年期と音楽の出発点
父親の勧めで商業に従事しましたが、音楽への情熱を捨てきれず、フロリダ州でオレンジ農園を経営する傍ら音楽活動を開始。黒人の音楽、フロリダでの自然との触れ合いが、のちの作曲に大きな影響を与えました。
音楽活動の展開
ライプツィヒ音楽院で正式に音楽を学び、作曲家としての道を歩み始めました。後にフランスに移住し、生涯の多くをフランスで過ごします。
晩年
晩年は健康を崩し、梅毒による視力と運動機能の喪失に苦しみましたが、助手のエリック・フェンビーの支えを得て作曲を続けました。
印象派やロマン派の影響を受けつつ、詩的で抒情的なメロディが特徴です。自然や田園風景を音楽で描き出すことを得意とし、独特の雰囲気を持つ音楽を生み出しました。
ディーリアスは、生前の評価は限られたものでしたが、後年その独自性が再評価され、現在ではイギリス音楽史における重要な作曲家の一人とされています。
癒される曲の数々
《小オーケストラのための2つの小品》
かっこうがいます
第二次世界大戦のうた?
https://youtu.be/KFQAR8rb8pE?si=Fw8m_pgVRn6Ck0in
《2枚の水彩画》
出典@richardlewis1395
《夏の庭で》
鳥の声が聞こえます
《夏の歌》
出典@Cmaj7
《ブリッグの定期市-イギリス狂詩曲》
出典@271250cl
歌劇「村のロメオとジュリエット」
出典@feline1104
《3つの小さな音詩》
出典@RoddersClassical
再生リスト
https://youtube.com/playlist?list=PLB6A14E494963D218&si=XTnOP8eB3Bay16un
4-ルイジ・ノーノ
Luigi Nono
1924年1月29日 – 1990年5月8日イタリアのヴェネツィアの作曲家。第二次世界大戦後の前衛音楽を代表する一人です。彼はヴェネツィア音楽院でジャン・フランチェスコ・マリピエロに音楽理論を学び、その後、ブルーノ・マデルナやヘルマン・シェルヘンから作曲を学びました。1950年代初頭には、アルノルト・シェーンベルクらによって発展したセリエル音楽(音列技法を用いた現代音楽の一種で、音列主義(Serialism)とも呼ばれる。音高だけでなく、音色や強度、持続といった音響事象のすべてに音列技法を適用した作曲技法)の技法を基盤としましたが、他の前衛作曲家とは異なり、社会問題や政治的主張を強く反映した音楽を創作しました。
ノーノはイタリア共産党に入党し、音楽を通じて権力への抗議や社会改革を訴えることを目指しました。例えば、「断ち切られた歌」(第二次世界大戦中の迫害の犠牲者の手紙に基づく)や「ゲルニカの勝利」など、政治的メッセージを込めた作品を発表しました。また、彼のオペラや舞台音楽では、ベトナム戦争やマルコムX暗殺など、当時の社会的・政治的事件がテーマとして取り上げられました。
1956年以降は電子音楽にも関心を広げ、ピアノや声、テープ、オーケストラを組み合わせた実験的な作品を数多く手掛けました。代表作には「苦悩に満ちながらも晴朗な波」や「愛に満ちた偉大な太陽に向かって」などがあります。彼の音楽は、力強くダイナミックでありながら、悲しみや希望といった感情を深く内包しています。
1980年代に入ると、ノーノは南西ドイツ放送局の実験スタジオでライブ・エレクトロニクスを用いた作品に取り組むようになり、音そのものの性質を探求する新たな道を歩み始めました。この時期の作品には「断片――静寂、ディオティーマへ」や「夢みながら“歩かねばならない”」があり、音楽の中に「無限」を見い出そうとする彼の哲学が色濃く反映されています。また、楽譜には楽器名ではなく演奏者の名前が記載されるようになり、彼を支えた演奏者たちへの敬意が示されました。
ノーノは教育者としてはあまり活動していませんでしたが、弟子にはヘルムート・ラッヘンマンやニコラウス・A・フーバーなどの著名な作曲家がいます。1990年にヴェネツィアで没し、サン・ミケーレ島に埋葬されました。
ノーノの音楽は、彼の生きた時代の社会的闘争と結びつきながら、美的革新を追求し続けたものです。その革新性は、彼の故郷ヴェネツィアの多文化的な背景と理想の世界観に根ざしており、現代音楽に多大な影響を与えました。
ピエール•ブーレーズの60歳の誕生日のために書かれた曲
À Pierre. Silence bleu, inquiétant (1985)
ピエールへ。青い沈黙、不穏(1985)
出典@riccardoacciarino
Hay que caminar sonando
夢を見ながら歩かなければならない
出典@unpetitabreuvoir
《Hay que caminar” soñando》(夢見ながら歩かなければならない) は、1980年代半ばにトレドの修道院の壁に書かれているのを読んだ碑文。ノーノにとって、この言葉は極めて深い影響を受け、ルイジ・ノーノは最後の作品(1989年作曲)を作る。
このヴァイオリン・デュオでは、演奏者が空間を移動しながら演奏し、「音の橋」を作り出す。対話というより、2つの声が一つのモノローグを形成する形となる。
ノーノの晩年の作風には内省や精神的超越が見られるが、彼に「諦め」はなく、この作品も別れの音楽ではない。「夢を見ながら歩む」ことで、理想を追い続ける姿勢を示している。彼は最後まで、現実から切り離されつつも「政治的に関わる芸術家」であり続けた。
Como una ola de fuerza y luz
力と光の波のように
出典@unpetitabreuvoir
かなり緊張感の高いところがあり、恐怖感を与えるので、小さなお子様にはおすすめ致しません。ピアノの音響を限界まで使っているという点も驚異的です。声の使い方は予想できましたが、ハープの使い方も面白いです。セリエル音楽は理解が難しいと感じることが一般的だと思いますが、これだけのメッセージ性と印象を濃く残す作品を知る事は大きな意味があると思います。
Sofferte onde serene
耐え忍ぶ穏やかな波
出典@ContemporaryClassical
※この作品もお子様には恐怖感を与える可能性があります。
この作品は、ノーノが新たな創作の道へと踏み出した最初の一歩。マウリツィオ・ポリーニとその妻マリリーザに献呈。作品には個人的な要素も込められている。ノーノやポリーニの親族の死に対する悲しみが反映されているほか、ノーノの故郷ヴェネツィアの音響世界も重要な要素となっている。
「ヴェネツィアのジュデッカ島にある私の家では、昼夜を問わず、霧の中でも陽光の下でも、さまざまな鐘の音が、異なる方法で、異なる意味を持って響いてくる。」
「それらは、ラグーンや海における生活のしるしであり、労働や瞑想への呼びかけであり、警鐘でもある。」
「そして人生は続いていく。カフカが言うところの『深奥の均衡』という痛みと静けさの中で。」
— ルイジ・ノーノ
オペラ
Intolleranza
不寛容
出典@g_inblat
説得力高い現代音楽表現に圧倒されます。
※暴力的シーンがあるので、お子様向けではありません。